花の盛りに

 自分の生家は成り上がりの商家で、父には確かに誰もが認める才覚があった。
 そして、彼は優秀であるが故に、商売というものが自分の才覚ひとつで世を渡っていけるものではないことをわかっていた。だから、商売と同じくらいに周囲のご機嫌伺いをすることにも熱心だった。
 今日はだれそれの屋敷で会食が、明日はどこそこの湖で鳥撃ちがと、文字通り東奔西走していた。そのたび店は大きくなっていくのだから、お見事と言うほかなかった。
 そうして築いた財と店を、父は長男である兄に継がせたいと考えていたのだが、肝心要の兄にはそんな気はさらさらなかったようで、いつも「面倒くさいし」「父さんみたいにお金の細かい計算すんのイヤだし」と、まるで鰻のようにのらりくらりとかわし、挙句に「冒険者やりたい気分になった」と家を出て行ってしまった。後日ユーシス宛に届いた手紙には『「運命の双六亭」という宿に落ち着くことにした』と書かれていたから、両親の「路銀が尽きたら泣きついてくるだろう」という思いと裏腹に、きっちりと初心完徹をしたことになる。手紙をこっそりと本の間にしまいながら、ユーシスはさすがはフィリップ兄さんだと誇らしげな気分になったものだった。
 両親、特に母などは「冒険者など恥さらし」と嘆いたものだったが、ユーシスにとってフィリップは、いつでも自慢の大好きな兄だった。家にいた頃からユーシスにはいつも優しかったし、家を出て冒険者になったあとも、手紙を書くのはたいへんだと思うのに、時折は最初にユーシスが受け取れるように取りはからった手紙を寄越してくれた。そこに書かれた言葉は軽薄だったが、兄が仕事を愛し、仲間を大切に思っていることが伝わってきた。
 とても優しい、いい兄さんだったのだ。
 過去形にしてしまうには早すぎるのに。

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 兄が珍しく、父のご機嫌伺いに同行したことがあった。
 その頃には父も諦めが入っていたのか、社交の場にはひとりで行くかユーシスを伴うようになっていた。木の葉通りの薔薇園で行われる園遊会、という兄の興味とは天と地よりかけ離れていそうな催しに、どういうわけか兄は参加すると言い張った。
『兄さん、どうしたの? こういうことは好きじゃないでしょ?』
『んー、ちょっとそういう気分になったからさあ』
 顔をしかめて礼装の襟をいじっていた兄は、ユーシスの訝るような顔に気づくとぺろりと舌を出して、悪びれることなく笑顔を見せた。
 気分が乗ったなどと言いつつ、兄は薔薇の花を愛でることも、父と一緒に周囲のご機嫌取りに馳せ参じることもしなかった。ただひとり、礼装が汚れることも気にせず庭園の片隅に座って、微笑みながらどこかを見つめていた。
『何を見ているの?』
 ん、と兄は自分の視線の先にあった、花をつけた木を指し示した。
『中からじゃないと壁が邪魔になって見えないんだよー』
 すんなりとした枝の先に、こぼれそうなほどの量の花が咲いていた。白と紅が合わさる様は周囲の緑に映えて、とても綺麗だ。
 庭園に咲く薔薇のような艶やかさはなかったが、空に向かい花を広げるその姿は、凛として美しかった。
『知らなかった。なんて名前の花なの?』
『あっれー? ユーシスにも知らない花なんかあったんだ?』
 兄は笑ってユーシスの金髪をぐしゃぐしゃにしながら、花水木だと教えてくれた。
『俺、この花なーんか好きなんだよね。木につく花って真っ直ぐでキレーじゃん? この辺りじゃここにしかないからさ、見ておきたかったんだ』
『僕も……好きかも』
『ん? じゃー、持って行っちゃう?』
 兄は立ち上がってひょいと手を伸ばすと、無造作に枝を折り取った。
 あとで庭園の持ち主と両親からさんざんに叱られたのはいうまでもない。

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 レッヘン村に向かう途中、野生の花水木を見つけた。
 他の雑木に囲まれた、一本だけのその木についた花は、あの庭のものほど鮮やかではない。
 自分の気持ちも、あの日とはまるで違っている。それでも、好きだった花が近くにあれば兄は喜ぶかもしれない。
 そう思ったユーシスは足を止め、花水木の枝に手を伸ばした。しかし、背の高い場所につく花に、まだユーシスの手は届かなかった。
「? 何してるんだ?」
 ユーシスが立ち止まったことで、数歩先を歩く形になっていたジェレミーが気づいて戻ってきてくれた。兄とパーティを組んでいた人。そして今は、ユーシス自身がパーティを組んでいる相手でもある。兄の手紙では臆病者とのことだったが、ユーシスが会った時にはその影は感じられなかった。
「花? ああ、綺麗だな。持って行くの?」
 ジェレミーはひょいと手を伸ばすと、枝を一本折り取ってユーシスに手渡してくれた。
 その姿が、体格も髪の色も全く似ていないはずの姿が、なぜか兄を思い出させた。
「ユーシス?」
 ぼやけた視界と気持ちを、首を振って追い払う。
「……行きましょう」
 歩き続けるうちにレッヘン村の外れにある、目当ての場所に辿り着いた。
 周辺より僅かに盛り上がった塚と、塚を埋めるように飾られた花がなければ何もないかのように思えるその場所に、兄が眠っている。
 飾られる花は、今では二つの意味を持つものになっている。フィリップへの哀悼と、そして、お互いが元気で頑張っていることを伝える、自分たちにしか見えない合図。
「サーラも来てたんだな。……あれ?」
 塚に供えられた花を見たジェレミーは、不思議そうな顔でユーシスの手にある自分がさっき取った花と、塚の花とを見比べている。
 白と紅。色は違うけれど、同じ花水木。
「綺麗だから、サーラも途中で取ってきたのかな。用意してないなんて珍しい」
「……用意してきてたと思いますよ」
 ユーシスは微笑すると、自分の持っていた花をそっとその隣に寄せた。







※ハナミズキの花言葉
 「永続性」「返礼」「私の想いを受けてください」

原作リプレイ:『運命の双六亭』 柚子様
テンプレート:「小説htmlの小人さん」(改訂)
画像:「空に咲く花」