冬はつとめて

 世間一般には冒険者の朝は遅いものだと思われているが、運命の双六亭の冒険者、ジェレミーの朝は比較的早い。
 以前は他の冒険者連中と大差なく、遅い時間まで寝床にいたのだが、最近では早く起きて盗賊ギルドに出向き、いい情報がないかを確認するようになった。玉石混在、多種多様な情報を集める盗賊ギルドは、その名前と裏腹に昼夜の区別がない。太陽や月に生活を合わせる真っ当な生活じゃあこの稼業はとても渡ってなんざいけねえよというのはギルドの精鋭たちの至言だ。入り方さえわかっていれば早朝に訪れても無駄足に終わることはない。
 それなら一日の情報が出揃った深夜に訪れてたほうがいいのではという意見もあるが、ジェレミーは個人的な理由で早朝を選んでいる。理由はいくつかあって、ひとつは、リューンにいる時に夜中に局面が大きく動くような事態に身を置いている状況が少なく、早朝なら情報の精度が落ちることはほぼないこと。もうひとつは、自分が酒精の芳香に満ちた夜の空気より、早朝の澄んだ空気の方が好きだということ。そして最後のひとつは、ずっとパーティを組んでいるアリョーナがジェレミーが深夜に出歩くこととギルドに出入りすることを嫌がっていることだった。
「さすがにこの季節は寒いな」
 冬の早朝。怠惰な冒険者でなくとも、あたたかい布団から出たくない時期だ。
 乾いた空気と透き通った青い空は嬉しいが、肌を突き刺す寒さは謹んで遠慮したい。
 薄い衣服だけの肩をすくめて、ジェレミーは通りの角を曲がった。双六亭はすぐそこだ。朝から熱い葡萄酒を頼んだとしても、一仕事したあとだと知っている親父はきっと許してくれることだろう。
 宿が見えたところで、ジェレミーはその玄関に誰かが立っていることに気づいた。きれいな赤い髪が見える。
 一瞬、娘さんがもう表の掃除をはじめているのかと思ったが、違う。
 娘さんの髪は首の後ろでまとめられている。宿の前に立っている女性の髪は豊かに広がって背を覆っている。この長さはよく知っている。すんなりとした人影の主はアリョーナだ。
「げっ」
「ジェレミー!」
 ジェレミーの姿を認めると、彼女は機敏な動作で近づいてきた。腰に手を当て、涼やかな瞳に剣呑な火を灯してジェレミーを睨め付ける。
「そんな格好でどこに行ってたの?!」
「いや、その……」
 盗賊ギルドです、なんて正直に言おうものならこの往来で修羅場が始まる。いくら騒々しいのが基本の冒険者宿の前とはいえ、この時間では近所迷惑にも程がある。
 穏便に事を収める方法を考えているジェレミーの首に、何かがふわりとかけられた。一瞬硬直したのだが、それはジェレミーの想像と対照的に、ひどくあたたかく彼を包んだ。
「あれ?」
 つかんで引き寄せると、それはたっぷりとした幅の毛糸のマフラーだった。
「こんな寒い朝にそんな薄着で出かけたら風邪をひくでしょ?」
 アリョーナは呆れたように言ったが、口調と言葉とは裏腹に表情はどこまでも優しかった。
「本当に昔から心配させてばかりなんだから」
「ありがとう。これどうしたの?」
「娘さんに教えてもらって、シャルロットと一緒に編んでたのよ」
 昨夜出来たから、今度から出かけるときは使ってねとアリョーナは言った。
「いいの? アリョーナのぶんは?」
「これから編むから大丈夫。あなたの方が心配なのよ」
 いつも彼女はこう言っているように思う。最初は軟弱者扱いされているようで内心怒ったこともあったし、俺はどこに行っても駄目だなとこっそり泣いたこともあった。
「何か返すよ。でも俺は編み物とかやったことないから……そうだ、何か欲しいものとか」
「欲しいもの?」
 アリョーナがさもおかしそうに笑う。
「何だよ」
「ジェレミーにそんなこと言ってもらえるとは思わなかったのよ。お財布は大丈夫なの?」
 指摘されて、ジェレミーはうっと詰まった。
「8……10spくらいなら」
「もう少し持ってたほうがよくない?」
 後でみんなに相談して渡してあげるねと言われて、ジェレミーは肩を落とす。
 いろいろな経験を経て強くなれた自覚はあるのに。それだけではなく、アップルなどのように周囲の目も変わってきているというのに。いつまでもアリョーナは、自分を庇護すべき存在として扱っている。
「俺だってこのまま行けば凄い冒険者になるんだから、そうしたら高い技能書だって賢者の杖だっていくらでも手に入れられるようになるよ」
「確かに、賢者の杖がもう一本あったら便利ね。もっとジェレミーを守ってあげられるわ」
「いつもそればっかりだ。アリョーナは自分の欲しいものとかどうでもいいのか?」
 アリョーナは綺麗な瞳を瞬かせると、微笑んだ。
「貴方やみんなが元気なのがいちばんいいの。さ、早く宿に戻ってあたたまりましょう」
 そう言ってアリョーナはジェレミーを促した。宿までのちょっとの距離を並んで歩こうとしたところで、何かが空に舞っていることにジェレミーは気づいた。
 最初は錯覚かと思ったが、それはひとつふたつと次第に増えて、空中で軽やかに踊る。
「雪ね。どうりで寒いと思った」
「山の方はもう積もってるらしいな」
 先ほど、ギルドで聞いた情報だった。
「リューンでも積もるかしら」
「どうだろう」
 手袋を早めに編んであげるね。そう言って笑った彼女の髪に雪片が舞い降りる。
 それは程なくとけて雫になり、アリョーナの緋色の髪の上で宝石のように輝いた。







原作:リプレイ『運命の双六亭』 柚子様
テンプレート:「小説htmlの小人さん」(改訂)
画像:「空色地図 -sorairo no chizu-